<金口木舌>言葉に込められた英知


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 欧米の学問を日本語で学べるのは、先人の苦労があった。旧帝国大学も開校からしばらくは、ほとんどの授業が英語やドイツ語、フランス語で行われた。それを10年から20年かけて日本語の教科書を作り、講義できるまでにした

▼学問を国民に広く普及させるためには、外国の言葉を自らの言葉に置き換える必要がある。いかに先人が自らの言葉を大切にし、磨きをかけてきたかがうかがえる
▼そんな言葉の大切さを思い起こさせてくれたのは仲本菊雄さん(81)らだった。世界のウチナーンチュ大会に参加するため、ブラジルから30年ぶりに来沖した
▼うるま市具志川での交流会で話を聞いた。「小さな子どもたちがヤマトグチばかりで戸惑った」。方言札の時代にあっても、自らの言葉を大切にした仲本さんにとっては「驚きだった」
▼一緒にブラジルから参加した高齢男性も「15歳の時に渡っているが、60年たってもウチナーグチを忘れたことはない」。異国の地で苦労を重ねても、言葉は自らと故郷をつなぐ紐帯(ちゅうたい)になったのだろう
▼仲本さんらは「(自分の)子や孫に肝心(ちむぐくる)を知るため、沖縄の地を踏んでほしい」と語り続けている。言葉は社会と文化の礎にも、人をつなぐ絆にもなる。言葉を生きる励みにする県系人もいる。それぞれの思いで磨かれたしまくとぅばにも、先人の英知が詰まっている。