<金口木舌>在京県人へのエール


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 その瞬間、思わず全てを忘れて立ち上がり、大声で「ありがとう」と連発した。1955年4月、インドのニューデリーで十数カ国の代表約250人が参加したアジア諸国会議でのことだ

▼祖国復帰促進協議会の神山政良会長は沖縄の日本復帰を求める決議を提案し、採択された。神山氏は当時、在京沖縄出身者を代表する顔として、沖縄が抱える問題の解決に向けて奔走した。アジア諸国会議に決議を採択させたことは、沖縄現地の運動に大きな勇気を与えた
▼翌年、東京沖縄県人会が発足、神山氏は初代会長に就く。75年まで19年間会長を務め、沖縄からの復帰要請団の世話をしたり、時には県人会でハンストを打ったりした
▼渡久山長輝前会長は「神山氏は熱烈な郷土愛を持っていた」と語る。「復帰男」と呼ばれた古堅宗憲氏、後に県議となる小波津浩利氏も、個性を発揮し、神山氏をもり立てて、県人会の運動をけん引した立役者という
▼絶えず沖縄に寄り添ってきた東京沖縄県人会は今年で60年を迎えた。沖縄から約1600キロ離れた東京で、郷土愛は生き続け、根付いている
▼それに突き動かされ、奮闘してきた先人たちの思いは、現在の県人会にも受け継がれている。仲松健雄会長は県人の心を一つにするため「沖縄愛」をアピールしている。在京県人の一層の飛躍を願い、感謝とエールを送りたい。