<金口木舌>交響曲「沖縄」


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 年末の風物詩にもなっているベートーベンの「第九」。離島では、フル編成オーケストラで聴くことは難しい。かつて「離島の人たちにも第九を」と奔走した人がいた。音楽プロデューサーの故日暮怜司さんである

▼1965年に文化庁芸術祭奨励賞に輝いたLP盤16枚組「沖縄音楽総攬(そうらん)」を担当した人だ。復帰30周年を控える時期に、平良市(現宮古島市)の伊志嶺亮市長、石垣市の大浜長照市長から依頼を受けた
▼資金面をはじめ多大な苦労の末に2002年10月、荒谷俊治氏指揮の町田フィルハーモニー交響楽団と一流ソリストの両市訪問が実現。合唱は地元合唱団が担い、大きな感動を呼んだ
▼この演奏会のために、日暮さんの妻で作曲家の有馬礼子東京音楽大名誉教授がオーケストラ曲「宮古」「八重山」を3年がかりで作曲。それぞれの演奏会で初演された
▼後に作曲した「首里」と合わせ3楽章の交響曲「沖縄」となった。04年に東京で初演された後、沖縄県に献呈することになり同年12月、当時の稲嶺恵一知事が楽譜を受け取った
▼県民の財産となって12年。11年に県内で吹奏楽曲として披露されたが、全曲の演奏はない。昨年7月、日暮さんは85歳で亡くなった。「オーケストラでやるのは大変ですから」と83歳の有馬さんは語る。沖縄で演奏されることを願う夫妻の望みがかなうことを祈りたい。