<金口木舌>山田さんの「希望」


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 戦前戦後を通じて活躍した写真家濱谷浩さんに「終戦の日の太陽」という作品がある。敗戦の日、疎開先の新潟県で撮った。黒々とした空の真ん中で輝く太陽に、不安とかすかな希望を感じたのだろう

▼1963年に来沖した濱谷さんを案内したのが沖縄の写真家山田實さんであった。濱谷さんは那覇市内でもカメラを空に向けシャッターを切っている。米統治下の沖縄の空に、濱谷さんは何を見ていたのだろうか
▼山田さんには敗戦の日も空を見上げる余裕はなかった。関東軍の兵士としてソ連軍と戦っていた。シベリアの収容所に送られ、極寒と飢餓で多くの仲間を失った。帰国は47年8月。2年遅れの戦後の始まりであった
▼50年代に写真機店を構え、写真家としても活動を始めた。子どもたちを撮った魅力的な作風で知られる。地上戦の傷痕が残る沖縄で元気に遊ぶ子どもたちの笑顔に希望を見いだしたのではないか
▼87年の海邦国体開会式で、山田さんは子どもたちの姿に涙を流す。「これからの沖縄、日本はこの子たちがつくっていく」という感慨からだった。子どもを撮るのはこれが最後と心に決めたという
▼シベリア抑留を生き延びた山田さんは、レンズを通じて見詰めた子どもたちに沖縄の未来を託したのだろう。慰霊の月を前にこの世を去った山田さんの作品に沖縄の幸せの行方を探したい。