<金口木舌>最高の恩返しとは


この記事を書いた人 琉球新報社

 女性のように柔らかく、小さな手に驚いた。1976年、具志堅用高さんがプロボクシング世界王者に輝いた直後、那覇市内での凱旋(がいせん)パレードを父に連れられ、見に行った時のこと。握手した時の強烈な印象が5歳の脳裏に残った

▼その拳は13度防衛という、今も破られていない偉業を成し遂げた。だが、その歩みは順風満帆ではなかった。多くの苦悩を乗り越えての栄冠だった
▼上京し、プロの世界に入った頃、具志堅さんは本土の人とうまく話せずに悩んだ。「先輩への言葉遣いが苦手だった」と言う。そんな東京生活を陰で支えたのが、バイト先のとんかつ屋さんの店主だった
▼かわいがられた恩義に報いようと、5度防衛した頃まで働き続けた。「私を一目見るために集まる客もいたからね」。店の繁盛に一役買った
▼先月、具志堅さんの指導の下で世界王者に輝いた比嘉大吾選手は「わんもカンムリワシないん(僕もカンムリワシになる)」と宣言した。師への深い感謝が伝わってきた。具志堅さんにとっても「自身のジムから世界王者を出す」という、かねての「夢」を実現させた感激の瞬間だった
▼師への最高の恩返しは、師を超えることである。比嘉選手には、世界殿堂入りを果たした偉大な師を超えてほしい。具志堅さんの次の「夢」は、自身より大きく羽ばたくカンムリワシの雄姿に違いない。