<金口木舌>学徒隊員の瞳


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 72年前の1945年6月、大田昌秀さんは糸満市摩文仁の戦場をさまよっていた。鉄血勤皇隊の仲間の悲惨な最期を見た。県民と敵対する皇軍の実像を見た。迫り来る死を見詰めた

▼敗戦から8年後、師範学校の同期、外間守善さんと「沖縄健児隊」という戦記を編む。大田さんは「血であがなったもの」という一文を寄せた。沖縄戦を語る時、幾度も口にした言葉であり、それは晩年まで続いた
▼92歳の誕生日だった昨日、生前最後の著書となった鉄血勤皇隊の記録集が出た。ここでも「私の生は、文字どおりあえなく死去した多くの学友たちの血で以(もっ)て購(あがな)われたものに他ならない」と記した
▼沖縄の民衆意識を問い、アイデンティティーの確立を論じた。沖縄の苦悩を軽んじる日本本土の政治や国民意識を「醜い日本人」と厳しく断じた。基本姿勢は県政を担った2期8年も同じだった
▼訃報に接し、改めて思う。自らの命は「血であがなったもの」という思いが大田さんを突き動かしてきたはずだ。日米の国策に翻弄(ほんろう)される沖縄の現実を語る口調はひときわ厳しかった。憂いに満ちた瞳は、摩文仁の地をさまよった学徒隊のそれではなかったか
▼大田県政が描いた「平和・自立・共生」という理想像に向けた歩みは困難を極めている。しかし、諦めてはならぬ。そう決意し、学友の元へ大田さんの魂を送りたい。