<金口木舌>D51がつないだもの


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 旅好きに、出発前の準備が一番楽しいという人がいる。幼い日の遠足の前を思い起こすと分かる気もする。この子たちはどうだっただろう

▼45年前の今頃、九州に渡った那覇市内の子どもたちのことだ。「復帰直後の沖縄の子に鉄道を見てもらおう」と九州の国鉄で働く有志が計画した。7月末からの約1週間、小学5、6年生72人が国鉄職員の家にホームステイをして過ごした
▼煙を吐く蒸気機関車に目を丸くした子たちから「沖縄にも機関車が欲しい」と声が上がった。今度は沖縄にSLを贈ろうとの取り組みが国鉄職員の間で広まった
▼翌1973年の3月に那覇港に到着したのが「D51(デゴイチ)」で、与儀公園に静態保存されている。九州路線を34年間走り、引退後は沖縄の子どもらに夢を与えてきた。移送のための浄財が全国から寄せられたことを記す銘板には「沖縄を思う親愛の情の象徴」とある
▼7月に九州北部一帯を襲った豪雨は死者34人を出した。与儀公園のD51がかつて走った区間でも運休があった。久留米と大分を結ぶ路線では鉄橋が落ちた。生活への影響も深刻だが、愛着ある鉄路を失った悲しみも深いはずだ
▼今も約600人が避難所で過ごす。夏休みどころではない子どもたちもいるだろう。「忘れた頃にやってくる」は防災の戒めだが、被災者に心を寄せ続けることも私たちにできることの一つだ。