<金口木舌>「共生社会へのゲート」


この記事を書いた人 琉球新報社

 那覇市の与儀公園に鎮座する蒸気機関車の後方に2基の石碑からなる彫刻作品が立っている。市民の憩いの場、時には政治集会の場となる公園の中で石碑は静かに存在感を放つ

▼2基の石碑の間隔は1メートル50センチほど。なだらかな勾配のある地面には黄色の点字ブロックが埋め込まれている。表面には「障害者福祉都市」の文字。明確なメッセージが伝わってくる
▼裏面には「那覇市は障害者が人間としての尊厳を保障され完全かつ平等に社会参加できる福祉都市の建設を目指します」と刻まれている。経年のため石碑の表面はくすんでいるが、この決意は未来へと向かっている
▼1981年4月、那覇市は障害者福祉都市の指定を受け、1年後に指定記念の石碑が立った。作者で彫刻家の能勢孝二郎さんは「ゲートをイメージして作った」と話す。2基の石碑は門柱と言えよう
▼ゲートは狭い。一度に大人数は通れず、少人数向きだ。されど目の不自由な人や車いす利用者など、さまざまな人がゲートをくぐっていくはずだ。そして健常者と障がい者が手を携えて歩む。そのことを学ぶゲートだ
▼相模原市の障がい者施設を襲った惨劇から1年が過ぎた。事件の闇は深く、衝撃はいまだ拭えない。しかし、健常者と障がい者が共に生きる理想を手放すまい。ゲートの向こうにある望ましい共生社会への歩みを続けたい。