<金口木舌>「闘士の顔」


この記事を書いた人 琉球新報社

 数多い上原康助さんの写真の中でも、平良孝七さんが撮った一枚は異様な迫力に満ちている。1970年前後であろう。鉢巻きを結び、腕組みする様は30代にして百戦錬磨の司令官といった風貌だ

▼同時期、戦後日本を代表する写真家、東松照明さんが撮った写真もある。こちらは青年活動家といった趣だ。いずれの写真も若き上原さんと激動期にあった沖縄の空気を切り取った
▼闘士であった。大衆を背に困難に挑んだ政治家だった。それゆえ、時には苦渋をなめた。訃報に接して思う。上原さんの苦闘と挫折は戦後沖縄のそれであった。政治家と大衆が同じ道をたどった時代だった
▼笑顔が魅力的だった。含羞(がんしゅう)を帯びた表情も忘れがたい。知事選出馬が取りざたされた際、母親から「道はんちぇーならんどー」(道を外れてはならない)と諭された。息子の悲しげな顔が目に浮かぶ
▼常連の新聞投稿者という顔もあった。沖縄開発庁長官退任後の94年5月の投稿がほほえましい。那覇市の事務所近くを歩いていた上原さんの前に少年が歩み寄り、お辞儀した。「おじさん分かるの?」と聞くと「はい大臣」との返事
▼「おじさんはもう大臣ではないが、覚えてくれてありがとう」とお礼を言ったという。闘士は子どもをこよなく愛した。沖縄戦体験のためだろうか。幼き者、弱き者を慈しんだ上原さんの顔である。