<金口木舌>72年後の卒業式


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 沖縄戦で卒業式ができなかった東江国民学校(名護町=当時)の元高等科生徒たちが、同級生に集まるよう呼び掛けている。1931~32年生まれの「昭和6年生」に10月、卒業証書が授与されることになったからだ

▼45年3月。高等科1年生だった。岸本清さんは86歳の今もはっきり覚えている。「一つ上の先輩の卒業式会場をつくっていたら突然、空襲警報が鳴った。下級生を家まで送り、自分たちも避難小屋に隠れた」
▼当時の学校生活について「東江小学校創立百周年記念誌」(83年発刊)は記す。「登校から下校するまで戦時下の各種訓練が実施された」「児童も食料増産の戦列に加わり学校園や校庭も耕地に」
▼「勉強よりも壕を掘ったり、学校の畑を耕したりする方が多かった」と岸本さん。45年4月の米軍本島上陸後は、山中での避難生活が始まり、学校どころではなくなった
▼戦後72年。東江小創立記念式典で卒業証書を受け取ることになった。だが、元生徒たちの思いは複雑だ。「うれしいやら、寂しいやら」。既に亡くなった級友たちの顔が胸に浮かぶ
▼思い出を尋ねると、渡具知正子さん(85)は少し考えて話した。「思い出と言っても戦争のことばかり。若い人たちに同じ苦労をさせたくない」。同級生たちの消息を追う姿に、まだ終わらない沖縄の「戦後」がある。