<金口木舌>しないことの自由


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 普天間高校から出てきた生徒がくるっと振り返り、学校に向かって一礼したのに気付いた。普天間交差点での信号待ちの時だ。正門の内の誰かにしていると最初は思った

▼話をしながら出てきた女子3人組がくるっと回り一礼。イヤホンを着けた男子もぺこりとやって帰って行く。下校する生徒が学校自体に向かってしているのだと分かった
▼数年前から部活生を中心に始まり、今は部活動に関係なくほとんどの生徒が登下校時に実践している。深々とした大仰なものではない。会釈といった程度だ。学舎(まなびや)へのごく自然な愛着を感じた
▼生徒数人と学校に話を聞いてみたが、指導によるものでは一切ない。「伝統と考えるかどうかも生徒が判断すべきこと」(久場政彦校長)と奨励もしていない。しないことも自由ということだ
▼「親を大切に」「夫婦仲良く」「兄弟を大切に」はいずれも教育勅語がうたった。天皇が国民に語る形で道徳を説くのだが、最大の狙いは「緊急時には国に奉仕せよ」だ。国民主権の平和憲法に反する
▼70年以上前の戦時中まではそうではなかった。唱えさせられ、順守することが刷り込まれた。今また時の政権が教育勅語の教材使用を「否定されない」とわざわざ示すことの怪しさである。「あえてしない」ことの自由をいかに守ることができるか。きょう考えるべきことの一つではないだろうか。