<金口木舌>公文書って誰のもの?


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 役所に取材に行くと、対応者は2人。1人は記者の受け答えに応じ、もう1人は黙ってやりとりをメモする。メモ係は後で「言った言わない」とならないための資料作成である。行政の「文書で始まり文書に終わる」という業務の基本を目の当たりにした

▼そんな経験から財務省の「文書は破棄した」という答弁は、虚偽ではないかと疑っていた。森友学園への国有地売却を巡る国会答弁である。書き換え前の報告書は約80ページで、決裁文書の改ざんは計14文書、200項目を超えた
▼旧優生保護法下で知的や精神障がい者に対し、不妊手術を認めていた問題は、公文書でその実態が明らかになった。名前や年齢、医師の所見が書かれていた
▼全国47都道府県への情報公開請求などで文書を入手し報道をしたのは、ジャーナリズムNGOのワセダクロニクルだった。調査報道に特化したウェブメディアだ
▼負の歴史でも、過去の公文書から学ぶことがある。公文書や公的記録は、国民の財産という意識の欠如と隠蔽(いんぺい)体質が、森友問題の決裁文書書き換えにつながっている
▼米国では大統領のツイッターも公文書として保存される。非公開の協議、電話、メールも同様で時期が来たら公開される。民主主義の根幹に公文書があるという意識だ。公文書は政治家や官僚の地位保全のためではなく、国民に説明責任を果たすためにある。