<金口木舌>命拾いに思うこと


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 経験したことのない痛みだった。昨年2月、名護市汀間で取材した後、原付きバイクで名護市街地へ向かう途中のことだった。二見トンネルを抜けたところで、胸と背中を同時に激痛が襲った

▼視界もぼやけてきた。「これ以上運転できない」。車道脇にバイクを止め、歩道に横たわった。しばらく休み、視界が戻ったところで再びバイクにまたがった
▼119番への電話も考えたが、歩けるし、運転はできる。救急車は本当に急を要する患者が利用するべきだと考えた。意識を失わないように気を付けて、歩道寄りの車道を速度を落として病院を目指した
▼救急外来に駆け込むと、何度かの検査の後、緊急手術が必要だと診断された。南部の病院に救急車で運ばれ、手術をした。後で聞いた病名は大動脈乖離(かいり)だった
▼両病院の素早く的確な診断と対応のおかげで命拾いができたと、心から感謝している。幾つかの幸運も重なった。自分で運転し病院に向かったのは無謀だが、言うまでもなく一番の無謀は長年の不摂生だ。大動脈乖離の原因は不明とされるが、高血圧の患者に多いと言われる
▼私も高校時代から高血圧症だが、放置してきた。働き方改革で長時間労働に歯止めをかけても、生きている時間を不摂生に費やせば元も子もない。健康状態を保つには、自分の生活習慣に対する意識改革も同時に必要だ。