<金口木舌>通じなかった「生め」の願い


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 ハンセン病患者の苦悶(くもん)を描いた小説「いのちの初夜」で知られる小説家・北條民雄に「癩(らい)院受胎」という作品がある。身ごもった女性とその兄、女性の恋人が登場する。3人ともハンセン病患者である

▼苦悩の末、恋人は自死を遂げる。「この児が、この児が…」と悲嘆に暮れる身重の妹に向かって、兄は「生め!」「新しい生命が一匹この地上に飛び出すんじゃないか、生んで良いとも」と諭す
▼北條は10代の終わりにハンセン病を発症した。「死を思わない日は一日もない」という絶望と向き合いながら書かれた作品には、病に苦しみながら生きる意味を問う人物が出てくる。それは北條自身の姿であり、「生んで良いとも」は彼の思いでもあっただろう
▼全国各地のハンセン病療養所では1950年代まで断種や堕胎があったとされる。日本国憲法下で続いた重大な人権侵害だった。「生んで良いとも」という願いは通じなかった。それは米統治下の沖縄も同様であった
▼本紙連載「みるく世向かてぃ」は、沖縄のハンセン病患者の体験をつづった。子を生み育てる夢を断たれた患者がいた。生きながらえるはずの命が消えた。あまりの痛ましさに言葉を失う
▼患者への差別が払拭(ふっしょく)されたとは言い難い。多くの回復者と家族は今も口を閉ざしている。ハンセン病家族訴訟は差別の根深さを問い掛けている。その意味は重い。