<金口木舌>南洋桜という名の植物を初めて見た・・・


この記事を書いた人 琉球新報社

 南洋桜という名の植物を初めて見たのは1993年6月、南洋群島帰還者会の慰霊墓参団に同行し、サイパン島を訪れた時のこと。沖縄でもよく見かける木ではないか。ホウオウボクのことを、こう呼んだと後で教えてもらった

▼火炎樹という別名があり、地元ではフレームツリーと呼ぶ。燃えるように咲き誇るさまは「火炎」の例えがしっくりくる。南洋の島々に暮らした日系人は、この花を見て故郷の桜を思い出したのだろうか
▼50年続いた帰還者会の慰霊墓参が来年で終了すると聞き、サイパンで見た南洋桜を思い出した。苛烈な地上戦を体験し、肉親を失った人々の心の中で咲き続ける花である
▼最初の慰霊墓参は1968年5月末から6月であった。引き揚げから22年ぶりに訪れた人々を南洋桜が迎えたであろう。悲しい旅でもあった。街には戦前の面影はなかった。遺骨を島外に出すことはできず、海岸の石を持ち帰った
▼南洋を舞台とした日米両軍の戦闘は県系人や日系人に加え、島の先住民を巻き込んだ。日本統治が生んだ犠牲だ。南洋と沖縄の歴史を語るとき、この事実を無視するわけにいかない
▼帰還者会の活動を支えた幾人かの訃報に接してきた。年とともに南洋の記憶は遠くなるが、忘れてはならない歴史がある。小規模でもよい。若い世代が引き継ぎ、南洋桜を訪ねる旅を続けてほしい。