<金口木舌>文字通り、沖縄戦後史を駆け抜け・・・

 文字通り、沖縄戦後史を駆け抜けた人だった。「私の半生をたどれば、沖縄の戦後史と重なる」という本人の弁は、大げさではない。時代を揺さぶる大衆運動を引っ張った福地曠昭(ひろあき)さんがこの世を去った

▼さまざまな闘いの中心にいた。北緯27度線の洋上を舞台とした海上集会、万余の県民が立法院棟に結集した教公二法闘争。後に行政主席・県知事となる屋良朝苗さんに寄り添い、悲喜を共にした
▼暴漢に右足を刺されたこともある。そんな出来事を振り返る時の語り口は穏やかだった。痛みが残る右足をかばうためか、左足の靴底の減り方が早い。そう話す福地さんのいたずらっぽい笑顔が忘れ難い
▼険しい顔も見た。1999年、「日の丸・君が代」法制化への賛否が渦巻く中で、沖縄教職員会が復帰前に取り組んだ日の丸掲揚運動がやり玉に挙がった。そのことを問うと「私たちはきちんと総括できていない」と苦しい言葉が返ってきた
▼「農兵隊」「産婆さん」など沖縄戦や民衆史に関する多くの著書を残した。沖縄を描く福地さんの視線は庶民、特に虐げられる者へと注がれた。それは闘いの基本姿勢でもあったろう
▼また一人、「復帰男」が逝った。しかし、「復帰は遠くなりにけり」と嘆くわけにはいかない。改めて「復帰の原点」を問い直す時である。晩年の福地さんもそう思い続けていたに違いない。