<金口木舌>沖縄戦の痕跡


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 40年以上も那覇かいわいで暮らしているが、初めて聞く地名や意外な地名に出合うことがある。先日、那覇と浦添の境を流れる安謝川の下流周辺を散歩していたら、「岡野」「住吉」という地名を記した自治会掲示板を見掛けた

▼岡野は沖縄風の響きではない。住吉は那覇軍港内にある地名だったのでは。那覇市がホームページで公開している資料によると両自治会に所属する世帯がある
▼1956年刊の「真和志市誌」に答えがあった。岡野は沖縄民政府の復興計画に基づいて活動した工作隊の家族が住み着いた地。「岡の上の野原に自然部落が出来たので岡野と称えるようになった」という
▼住吉は米軍に土地を奪われた住民が移り住んだ地で「旧名称のまま住吉区と唱える」ことになった。いずれも沖縄戦によって生まれた地であり、集落であった
▼「真和志市誌」発刊時の市長は翁長助静氏。昨年亡くなった翁長雄志知事の父である。市長による序文には「今次太平洋戦争の惨禍は全真和志野を灰燼(かいじん)に帰せしめ―」とある。敗戦から11年、戦争の記憶が生々しい時代だった
▼74年前のきょう、米軍は座間味に続き、渡嘉敷を攻略した。追い詰められた住民が命を絶った悲劇の島々である。忘れてはならないこと、記憶にとどめるべきことがある。近所の地名から戦争の痕跡に接し、沖縄戦を語り継ぐ意義を考える。