「全国で初めてここにできたものがある」。駆け出し記者の頃、最初に担当した北谷町の関係者がクイズを出した。頭に浮かんだのは観覧車だったが、当然、外れだった
▼北谷公園内のソフトボール場がその答え。ソフトボール場と呼ばれ、使用される施設は全国にあるが、専用球場として計画、建設されたのはここが最初だったそうだ。1987年の海邦国体に合わせて整備された
▼国体の遺産は施設だけでなく、指導者の系譜として今につながる。南部九州総体で県勢が活躍したなぎなた。躍進を喜んだ県なぎなた連盟の笠原松美理事長は海邦国体の強化コーチとして沖縄に招かれた
▼相撲、レスリングなど、さまざまな競技で国体に向けた県勢の育成、強化のために請われて来県した方々がいる。その教えが現役選手、指導者へと受け継がれている
▼開催の狙いに共生社会の実現を掲げる東京パラリンピック開幕まであと1年。障がい者を対象にした共同通信の調べでは「障がいの理解につながる」との期待がある一方、「一時の盛り上がりで終わる」との懸念も広がっている
▼「障がいがあるのにすごい」という世間の見方を変えよ、との指摘もある。東京大会はさまざまな障壁を取り除く契機となるか。大会の遺産として多様性が真に尊重される社会が実現するか。一人一人の関心度も問われる1年前である。