<金口木舌>最期まで自分の名前で


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 本紙に掲載された16行の訃報記事に、84年の生涯を思った。自身のアイデンティティーのために最期まで闘い続けた

▼元高校教諭で夫婦別姓訴訟原告団長の塚本協子さん=富山市=が死去した。「事実婚(内縁)」が少ない1960年に結婚し、自分の姓を守るため、出産のたびに婚姻届と離婚届を便宜的に提出した。3人目の出産後は離婚届は出さず、塚本姓を通称として使った
▼民法の夫婦同姓規定が憲法に違反するとして2011年、75歳の時に男女4人と初めて国に賠償を求めた。悲願はかなわなかったが、塚本さんらの訴えは「結婚で女性が夫の姓に変えるのは当然」とする社会に一石を投じたに違いない。訴訟後も講演会などで選択的夫婦別姓制度の導入を訴えていた
▼塚本さんが亡くなった14日の紙面には、国が18年に既婚女性を対象に実施した全国家庭動向調査が掲載されていた。「夫婦が別姓であってもよい」とする人は50・5%で、初めて半数に達した。同性婚を法律で認めるべきだとした人は69・5%だった
▼宇都宮地裁真岡支部は社会情勢の変化を踏まえ、同性カップルの「事実婚」が法的保護の対象になるとの判断を示した
▼家族観が多様化する中、時代に合った結婚の在り方について社会全体で議論を深める時期に来ている。「名前は人生そのもの」。塚本さんの遺志を忘れてはいけない。