<金口木舌>心に寄り添う支援とは


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 年末の風物詩といえば、赤い羽根に代表される歳末助け合い。募金は誰でも参加できるボランティアであり、気軽に社会貢献できることはありがたい

▼困っている人に手を差し伸べるのは当たり前のことだが、先日、岩手県北上市から沖縄を訪れたNPOの講演で「支援」の在り方を考えさせられる話を聞いた。東日本大震災の被災地でのことだ
▼ペットボトルの水が大量に集まったが、飲み水は余っていて、実はペットにあげているという。何万人分ものランドセルが届いたが、わざわざ古いものを使う子どもはいない
▼多くの人が善意で物資を届けたのは間違いないが、受け取る側の気持ち、実情とは合わなかった。被災しなかった地域にも物資は続々と届き、一部の地域では住民が食べ尽くすのに5年分もの米が集まったという
▼物余りの一方で、被災地の人が本当に求めているのは「住む所」と「元の生活に戻すこと」。被災から二度目の冬。「がれきの撤去は最後でいい。それより住む場所を確保してほしい」。現場からの訴えが痛切に聞こえる。支援とのギャップを埋める方法はないものか
▼善意を否定するつもりはないが、送る側の都合でなく、受け取る側に寄り添う「支援」は物だけに限らないだろう。本当に必要なのは何か、あらためて考える。まずは現場の声に耳を傾け、実情を理解することから始めたい。