<金口木舌>磨きをかけたい遺産


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 永井荷風は「老朽餓死の行く末思へば身の毛もよだつばかりなり」とわが身を案じた。島尾敏雄は「余は何を為さんとするか。余は既にして生ける屍(しかばね)也」と嘆いた。両作家の日記にみる1946年元日の記述だ

▼「偏奇館」と名付けた自宅が東京大空襲で焼け、知人宅を転々とした永井。魚雷艇の特攻隊長として奄美に着任し、敗戦で出撃を免れた島尾。2人とも混乱と虚脱の戦後を生きていた
▼同じころ憲法改正の作業が慌ただしく進んでいた。日本政府の憲法改正要綱を拒否したGHQは「マッカーサー草案」をまとめる。その策定に22歳の若さで参加したのが年末に亡くなったベアテ・シロタ・ゴードンさん
▼幼少時の日本生活で貧困家庭の女児の身売りを知るゴードンさんの提案は男女平等や法の下の平等の条項に反映。晩年は平和憲法の先進性と女性の権利擁護を訴えるため、日本で講演活動に注力した
▼憲法が施行された47年5月3日の日記で永井は「米人の作りし日本新憲法今日より実施の由。笑ふべし」と突き放すが、平等の二文字が吹き込まれた憲法は灰じんから立ち上がる人々の心に共鳴した
▼国内で広がる憲法改正のざわめきの向こうから届いた訃報。米軍基地を抱えるがゆえ、復帰後も「憲法不適用」と呼ばれる状態が続く沖縄でこそ、かけがえのないゴードンさんの遺産に磨きをかけたい。