<金口木舌>『戦争の影』を背負って


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 これも「時代の区切り」というのだろう。後に生きる者は沖縄とどう向き合い、これから歩んでいくべきかという命題に直面している。写真家、東松照明さんの訃報に接して感じたことだ

▼「自分の中で常に基調低音として響いているのが戦争の影だ」と常に語っていた。敗戦後の飢餓感に根差した基調低音は、写真家を米軍基地と長崎へと赴かせた。1969年の沖縄行きも必然だったはずだ
▼鋭敏な政治感覚で「基地オキナワ」を凝視する一方、基地の金網からしみ出す米国文化にあらがうように息づく古層を見つめた。日本の枠から沖縄を解き放つように東南アジアへも視線を伸ばした
▼写真と文字を駆使し、沖縄へのラブレターをしたため、若い写真家を鼓舞するように挑発してきた。相反するかに見える二つの行為は、時代と格闘する写真家の情熱と沖縄への愛情から発していた
▼「太陽の鉛筆」「光る風」という代表作を含む沖縄関連作は、日本、米国という大国のはざまで歴史を刻んできた道程を見返し、展望を描くための座標軸を私たちに与えてくれる。作品は現代を挑発し続ける
▼死去が公表された1月7日は、くしくも24年前に昭和が終焉(しゅうえん)した日でもある。「戦争の影」を背負い「日本とは、日本人とは何か」という問いを追求した写真家の生涯とその時代を思いながら、東松さんに感謝したい。