<金口木舌>住民視線で考えて


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 名護十字路近くにあるこぢんまりした店。店内に響く「また来たよ」の声がうれしい。声の主は北海道から来た夫婦だ

▼8年前、偶然出会った店のママらと意気投合し、結婚記念日を毎年名護で祝っている。いつ来ても毎日会っているように話が弾み、人と人を結び付けるナゴンチュの心の温かさ、まちの魅力を感じる
▼これに対し「また来るんですか」と言ったのは沖縄防衛局の職員。オスプレイへの抗議で日を置かず訪れたいと申し込んだ宜野座村城原区住民への返答だ。住民が騒音被害に抗議した翌日、再び低空飛行が繰り返された異常さを知らぬはずはあるまい
▼住民の抗議は面倒との本音がついつい漏れた、としか思えない。抗議自体を米軍に伝えていたかも疑問だ。欠陥機の下で、恐怖とともに生活する人への想像力が不足している。ちっとも温かみを感じない言葉だ
▼防衛局が那覇から嘉手納に移転したのは、誘致に力を注いだ当時の宮城篤実町長の思いをくみ取って、町活性化だけでなく「住民の思いや基地の実態を肌で感じる」(当時の真部朗局長)ことも狙いだったはず
▼もしかして防衛局の上空は軍用機の飛行ルート外? 嘉手納で働きながら、基地被害に悩む生活者の視点がないのは残念だ。いっそのこと選挙前に行うという防衛局お得意の“講話”で住民視線とは何か、もう一度学び直してはどうか。