<金口木舌>二つの半島名のある地


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 伊計小中学校跡での美術展を紹介した8日付本欄で「与勝半島」という地名を用いたところ、読者から「勝連半島と呼ぶべきではないか」との指摘があった。どちらの名称も定着しており、いずれが正式名と即座には答え難い

 ▼結論めいたことを言えば国土地理院の立場は「どちらとも言えない」。同院によると、この地は半島とは位置付けられず、あえて名を挙げれば先端にある「カンナ崎」だという
 ▼歴史をたどれば、勝連間切と与那城間切が1908年の特別町村制施行で村に改められた時に「勝連半島が与勝半島に称せられるようになった」と与那城村史は解説する。南北に二村が並ぶ土地の名として「与勝」はしっくりくる
 ▼しかし、「勝連半島」は廃れることなく自治体合併を経て100年余を生きた。この名を支えたのは地域住民の愛着であり、阿摩和利とその居城カッチングスクに対する誇りだろう
 ▼名称の扱いは行政レベルでも相違があった。例えば90年代の勝連町勢要覧には「勝連半島」、与那城町勢要覧には「与勝半島」の文字が見える。境界線を挟んで向き合っていた両町の意地が垣間見える
 ▼そんなことを考えつつ、この地を車で駆けた。ここには世界遺産があり、エイサーがあり、艦船が寄港する米軍基地がある。歴史と文化の衣を幾重にもまとった太平洋に伸びる腕-。そんな絵図が頭に浮かんだ。