<金口木舌>“知の山脈”の継承


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 ノーベル賞や米国の新聞報道などのピューリッツァー賞、文学の直木賞・芥川賞…すべて冠に人物名がつく。先駆者の偉業は、なかなかたどり着けない“知の山脈”のようなものだ

 ▼沖縄を対象とした史的研究で業績を挙げた研究者に贈る「東恩納寛惇賞」は30年を迎えた。歴史学者東恩納寛惇。1957年発刊の同氏の全集第1巻に「海の沖縄人」という、今後の沖縄像にもつながりそうな項目がある
 ▼1430年代~1570年代のシャムやスマトラ、マラッカなどとの貿易活動を一覧表にし、中国や東南アジアを股にかけたこの時代の琉球人について「海上の王者を自認」と表現した
 ▼貢ぎ物を献上する中国と従属的関係にあったが、船を操る琉球人なしにアジア貿易を語れない時代が間違いなくあった。今年の東恩納寛惇賞の金城正篤琉大名誉教授も先日の贈呈式で、琉球と中国の500年余の友好往来の歴史を紹介した
 ▼金城氏は、琉球とアジアの友好の歴史を断ち切り、東アジアへ踏み出す起点とした「琉球処分」を日本政府の最大の錯誤とした。先人の知恵と歴史の教訓に学び、プラスに転換する。金城氏からこう諭されている気がした
 ▼「歴代宝案」の研究に残りの研究人生をささげるという。沖縄学の碩学の一人として、より高い“知の山脈”を築き上げてほしい。後進もまた、その山を登り続ける。