<金口木舌>ノーサイドの精神、もう一度


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 名護市役所職員と話していたらぽつりと漏らした言葉があった。「また昔のようにならならなければいいけどね」

▼その日は稲嶺進市長の激励会、翌日は普天間飛行場の辺野古移設促進大会というタイミングだった。そして、22日。政府が辺野古の埋め立て申請を提出し、反発する市民、補償に期待する漁協の思惑が交錯する。来年の選挙をにらみ、市内の雰囲気がどうもきな臭い
▼1997年にあった海上基地受け入れの是非を問う市民投票以来、市民は国策に踊らされ、苦しい選択を迫られた。嘆きともつかない言葉を漏らした職員の頭によぎったのも、激しい選挙戦の記憶だろう
▼市民の選択で思い出すのは、98年に初当選した岸本建男元市長の一言だ。選挙戦を終えてラグビーで試合終了を意味する「ノーサイド」を宣言。「敵も味方もない。市民の溝を埋めていきたい」と誓った
▼27日は岸本さんの7回目の命日。苦渋の決断をしつつ融和を願った元市長は、天国から再び市民を分断しかねない国の行動をどう見るだろうか。「敵も味方もない」と言った岸本さんならこの局面でどう動くか
▼名護市政はこの10年余、移設反対、容認、反対と揺れ動いた。今は知事をはじめ全首長が県内移設に反対する一方、名護のウミンチュは埋め立てを認める。こうした中、新たな名護の「百年の計」をどう打ち立てるか。皆で考え抜きたい。