<金口木舌>「ひめゆり」戦後の一歩


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 少女の周りに、子どもたちの笑顔が広がっている。展示写真は、米軍によってコザの収容所で撮影された。撮影されたのは1945年、沖縄戦が終わった年だ

 ▼17歳の少女は、ひめゆり平和祈念資料館の証言員を務める津波古ヒサさん(85)。子どもたちは沖縄戦で親を失った孤児たち。「日中は笑っているけど夕方になると泣き出すんです」。津波古さんは当時を思い返す。「お母さーん」。日暮れ時、収容所では親を恋しがる声が響いた
 ▼資料館では企画展「生き残ったひめゆり学徒たち-収容所から帰郷へ」が開催中だ。元ひめゆり学徒たちが「戦後の一歩」をどのような思いで迎えたか、証言ビデオやパネルで伝えている。3月までの会期は、評判を呼び6月までの延長が決まった
 ▼「自分だけが生き残ってしまった」。家族に再会した喜びと、亡くなった学友たちにすまなかったという自責。葛藤する二つの思いを抱えて生きてきた元学徒の壮絶な戦後は、察するに余りある
 ▼永田町では憲法変えようという動きがかまびすしい。96条の改正が今国会に提出されようとしている。その先には戦争放棄をうたった9条が狙われている
 ▼津波古さんは「戦争がどんなものか分からない人たちが考えている」と顔をゆがめる。改憲に前のめりになる前に、戦争体験者や亡き学徒の思いを受け止めたい。