<金口木舌>道に遺ちたるを拾わず


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 紀元前の中国戦国時代、秦の国では法治主義が徹底され、国は安定し、民衆は満ち足りた生活を送る時期があった。「道に遺(お)ちたるを拾わず」の故事はそうした状況を表したものだ

 ▼道端にお金が落ちていても、持ち主が現れるだろうから、持ち去る者はいないという意味。人々のモラルの高さを伝える。「韓非子」に出てくる話だ
 ▼翻って現代の名護市。モラルを疑わせる出来事が続いている。名護十字路から延びる中央通りで、ハイビスカス16本が根こそぎ持ち去られた。東江中学校や大西公民館付近ではアマリリスの花数百本が切り落とされた
 ▼中部の支局に勤務したころ、似た事件があったことを思い出す。住民が街道沿いに植えた外国産の希少種ランが盗まれ、警察の捜査で犯人が捕まった。盗んだ理由を聞いてあきれた。「飲み屋のママさんの気を引きたい」。もらったママさんもさぞ迷惑しただろう
 ▼「道に遺ちたる」どころか、大事に育てる花を持ち去る気持ちがよく分からない。名護の花々は今どこにあるのか。庭か温室か、どこかで咲いているかもしれないが、それを見て「きれい」と思えるものか
 ▼中国の歴史書「魏書」には、こんな言葉も残される。「天網恢々(かいかい)疎にして漏らさず」。人は見ていなくても、お天道さまはお見通しだ。切られた花はもう元に戻らないが、モラルを取り戻すのは今からでも遅くない。