<金口木舌>続く「祖国」との葛藤


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 5月で没後30年を迎えた寺山修司さんの有名な短歌に「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」がある。1958年の第一歌集「空には本」に収められた連作「祖国喪失」の一首だ

 ▼寺山さんは9歳の年、青森大空襲に遭い、炎の中を母と逃げ惑う経験をした。父はインドネシアで戦病死する。敗戦後、米軍基地の街となった三沢に住み、母は基地で働くようになる
 ▼国が始めた戦争によって父を奪われ、母はかつての敵国の元に職を求めた。似た境遇の少年は沖縄にもいたはずだ。寺山少年の心に結ばれた「祖国」の像ははかなく、疑心に満ちたものだったに違いない
 ▼最晩年に「祖国」を見限ったのが元コザ市長の大山朝常さん。97年の著書「沖縄独立宣言」で「日本は帰るべき『祖国』などではなかった」と断じた。復帰運動の担い手が義憤を込めた「遺言の書」だった
 ▼発刊直後、沖縄市の大山さん宅を訪ねた。「基地を沖縄だけに押し付けるのが民主国家のやることか。このまま沖縄は黙っておれるか」と厳しい口調で語った大山さんの憤りは、多くの県民が共有する
 ▼憧れ、渇望、失望、憤激。さまざまな感情が「祖国」にまとわりつく。いまひとつ加えるとすれば決別だろうか。琉球独立を考える学会が復帰41年のきょう発足する。日本という国をめぐる沖縄の葛藤はこれからも続く。