<金口木舌>慰霊の火絶やさずに


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 忘れがたい光景がある。4年前に訪れたテニアン島南端に建つ「専習健児慰霊之塔」。慰霊祭で戦火に散った級友らを慰めようと、沖縄から駆け付けた同窓生たちが戦争で幕を閉じた専習学校の校歌を歌った

▼慰霊祭が始まるころ、呼び寄せられるようにたくさんのカモメが空を舞った。今年3月に他界した南洋群島帰還者会相談役の森山紹一さんも卒業生。葬儀では、校歌を歌っていた姿が思い出されてならなかった
▼1944年、サイパン、テニアンでは地上戦が繰り広げられ、多くの沖縄県人が犠牲になった。「生きている限り慰霊の思いは消えない」。戦で弟を亡くした森山さんは熱く語った。晩年は病と闘い、テニアンに再び渡る日を願っていた。慰霊の旅が生きている証しのようだった。通夜の席で同窓生が校歌を歌い見送ったと聞き、胸が詰まった
▼5月下旬、南洋群島帰還者会による慰霊団がサイパン、テニアンを訪れた。高齢化とともに参加者は減少しているが、遺族の思いは変わらない
▼全国では旧南洋群島出身者による会が休眠・解散する中、沖縄は慰霊の旅を続けてきた。帰還者会副会長の宜野座朝美さんは「来年は45回の節目。どんな形であれ、続けていきたい」と語る
▼帰還者会がともし続けた慰霊の灯。これを受け継ぎ、平和の明かりを絶やさぬことが戦後生まれの私たちに託されている。