<金口木舌> 球児の夢と戦争


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 夏の甲子園大会の県代表を決める第95回全国高校野球選手権沖縄大会が22日開幕した。7月21日まで1カ月間、熱戦譜がグラウンドに刻まれる

 ▼甲子園は高校球児の「聖地」だが、その歴史は戦前の旧制中学の野球にさかのぼる。当時から甲子園は球児たちの憧れだった。1936(昭和11)年夏、沖縄球児が初めてこの夢舞台を見学した時のことが「沖縄野球100年」(琉球新報運動部・編)に記されている
 ▼県立第二中学校(現那覇高)野球部の部員ら6人はその威容に度胆を抜かれた。二中球児は初日から閉会式まで甲子園に通い詰めた。スタンドを埋め尽くす観客の数に圧倒されたようだ
 ▼部員の一人、平良浩さんは「結局8日間泣きっ放しだった。甲子園の雰囲気を肌で感じ、あのマウンドに立ってみたいと強く思った」と回想している。甲子園を目の当たりにした感動が伝わってくる
 ▼当時、甲子園に出場するには、県代表になり南九州大会を勝ち抜かねばならなかった。41年、沖縄で初めて開かれる予定だった南九州大会が突然、国の命令で中止となった。地元開催に胸躍らせる沖縄球児たちの夢は打ち砕かれた。4年後、沖縄戦で多くの学徒の尊い命が失われた
 ▼悲劇を繰り返すまい。きょうは慰霊の日。正午には各球場で沖縄戦犠牲者に黙とうを捧げる。あらためて誓いたい。若者を戦場に送らない、と。