<金口木舌>若者を支えた替え歌


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 子どものころ、学校で学んだ唱歌やテレビから流れてくる歌謡曲の歌詞を替えて遊んだ。替え歌ごっこは、子どものたくましい想像力を遺憾なく発揮できる場だった

 ▼ヒット曲の歌詞に遊び友達やクラスの女の子の名を当てはめ、得意になって歌った。歌謡曲が描く色っぽい恋物語が子どもの世界でも輝いた。今思えば親たちは眉をひそめて見ていたのかもしれない
 ▼大人の世界の替え歌では諧謔(かいぎゃく)精神が生きてくる。風刺を効かした歌詞で留飲を下げ、集会で歌っては自らを鼓舞した。替え歌でやり玉に挙がるのは時の為政者。復帰前の沖縄では米軍に批判の矛先が向かった
 ▼1950年代半ば、復帰運動に身を投じた若者たちは「今は山中」で始まる唱歌「汽車」をこんなふうに歌詞を替えて歌った。「今は銘苅か今は具志 今は宜野湾伊佐浜と 思う間もなく伊江島も 次から次へと軍事基地」
 ▼ここで歌われているのは米軍の強制土地接収。住民の家や畑を奪う不条理を若者はあえて軽快な曲で告発した。悲しみや怒りをこらえて米軍と対峙(たいじ)するとき、若者を支えたのは明るい歌声だった
 ▼戦場を生き、米国統治に耐えた沖縄のチムグクルが歌を生んだ。70代に達したかつての若者たちが27日、再び歌うため沖縄市の中頭教育会館に集う。若き日の声量はなくとも時代に突き刺さる歌声を聞かせてくれるだろう。