<金口木舌>中村文子さんの足跡


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 県内で平和集会があれば、最前列にいる姿をお見掛けした。帽子をかぶった小さな体、柔和な笑み。平和への思いを語る言葉には、いささかの迷いもなかった

▼3月に解散した「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」で長年事務局長を務めた中村文子さんが27日、亡くなった。99歳だった。数年前、取材で自宅に伺った。憲法9条の掛け軸が飾られ、本棚には何十冊ものノートが整然と並べられていた
▼きれいな包装紙のカバーが付いたノートには日々のことや自作の川柳を記し、新聞記事がスクラップされていた。90歳を過ぎてもニュースに関心を寄せ、生活者としての視点を忘れなかった
▼平和運動に関わるようになった理由は戦前、教育者として皇民化教育を進めたことへの贖罪(しょくざい)意識。有事法制成立が迫った時には憤った。「声の束が戦争の火種を打ち壊すハンマーになる」。話を伺う度、背筋が伸びた
▼集会などで中村さんの姿を見掛けなくなってからというわけではないが、今、この国の雲行きは怪しい。「愛国心を刷り込むとほかの国を見下すことにつながる」。中村さんは今のアジア各国との緊張状態を心配し、後ろ髪を引かれる思いで逝ったのではないか
▼一貫して戦につながるものに異を唱えた。遺志を受け継ぎ、新たな戦前を阻止できるか。後に続く世代の責任を肝に銘じたい。