<金口木舌>楽園で物語る弾痕


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 2年半ぶりに営業を再開した東南植物楽園に足を運んだ。うだるような真夏の日差しがこの植物園には似合う。休園前と同様、ヤシ並木とハスが迎えてくれた

▼いくつかの思い出がある。高校1年の遠足の地だった。いとこ夫婦が結婚式を挙げた。1994年、近隣の黙認耕作地にF15戦闘機が墜落した時は肝を冷やした。今も園内にいると戦闘機の騒音が遠くから聞こえてくる
▼並木を歩いていると、幹に直径5センチほどの穴が10カ所以上あるナツメヤシに目が止まった。横に据えられた説明板によると、戦争中、台湾で米軍の機銃掃射を受けた痕跡という。樹齢は80年を数える
▼日本に統治され、米軍に攻撃された台湾。当時の戦災をとどめるナツメヤシが沖縄に移植された経緯には説明板は触れていない。創業者で台湾出身の大林正宗さんの意向だったのか
▼前身となる大林農園の開業が68年。観光振興と地場産業の育成に力を注ぎ、海外との交流にも尽くした大林さんは今年4月に他界した。営業再開を心待ちにしていたのでは、と惜しまれる
▼「楽園」の中で弾痕が残るナツメヤシは異質な存在だが、地上戦と米軍統治を経て今も基地に隣接する歴史と土地柄を静かに語っているようにも思える。大林さんが弾痕に何を見たのか聞くことはできなかったが、せめて傷ついた幹が発するメッセージに耳を澄ませたい。