<金口木舌> 沖縄長距離界の明日


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 1952年に始まり、今年で62回を数える九州一周駅伝が10月の大会を最後に幕を閉じる。数々のドラマを生んだ大会が無くなるのは寂しい

 ▼閉幕の理由は交通量増加で警備などの運営費が膨らみ、選手の安全確保が困難になったためだという。長距離指導に長年取り組んできた國場馨沖縄陸協会長は「沖縄の長距離選手を育ててきた大会だけにショックだ」と残念がった
 ▼大会には九州・沖縄8県と山口県の9チームが参加。沖縄は毎年のように最下位に甘んじている。低迷から脱却しようと沖縄陸協は2002年、駅伝強化プロジェクトチームを立ち上げた
 ▼取り組みは、徐々にではあるが奏功しつつある。10年の大会では、4日目に濱崎達規選手(当時亜大)が1区で、仲間孝大選手(当時順大)が2区で、いずれも区間2位の快走を見せた
 ▼恒例の沖縄一周市郡対抗駅伝の創設は、1971年の九州一周駅伝参加がきっかけ。特別招待で参加した県勢は大敗。その後、九州に追い付き追い越せとの思いが沖縄一周駅伝構想につながったようだ
 ▼県長距離界は、中高一貫の選手育成や実業団の強化などが課題と言われてきた。これまで九州の強豪の胸を借り底辺拡大と競技力向上に努めてきた。今後は沖縄の地域特性に合った、より自律的な選手育成策が求められるのではないか。県勢の一念発起を期待したい。