<金口木舌>罪深い忘却


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 約30年ぶりに書道を始めた。昨年、宮城県石巻市雄勝(おがつ)町の仮設商店街を訪れた。その際、ある小さな店舗で買い求めた新しい硯(すずり)に突き動かされた

 ▼硯には短い文章が添えられていた。「東日本大震災で幾度か押し寄せた大津波に被災し、荒波にもまれながら耐えて、瓦礫(がれき)とともに海中に引きずり込まれずに済んだ、数少ない生き残りです」とあった
 ▼雄勝硯の歴史は古く、600年前の室町時代から続く。艶々とした黒い光沢の美しさ、手に取った時の石肌の滑らかさが特徴的だ。震災前は国内のシェア9割を誇り、特産品として街の発展を支えていた
 ▼震災の時、湾に面した雄勝町では津波の勢いがすさまじく、街の8割が被災した。雄勝硯生産販売協同組合は、支援者の協力を得て泥の中から津波に流された硯と石材を回収した。昨年4月、採石した原石で硯の生産を一部再開した
 ▼街に人を呼び戻し活気を取り戻したい。その一念で産地復活を目指す人たちがいる。かと思うと、大震災、原発震災の復興・復旧の見通しが立っていないのに、電力会社は各地の6原発12基の再稼働へ向け動き出した
 ▼古里に戻りたくても戻れない人々がいる。震災の猛威と原発事故は、地域住民を、世界中を震撼(しんかん)させた。わずか2年半で忘却するのは罪深い。先人と共に歴史を刻んできた雄勝硯も、現代人の所業を見詰めている。