<金口木舌>平和の使者を迎える


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 戦後日本を代表する写真家、土門拳さんと東松照明さんの共通点は共に原爆被害を記録したことだ。カメラを携え土門さんは広島へ、東松さんは長崎へと向かった。1961年には2人の作品を収めた写真集が出ている

 ▼沖縄と並んで長崎をライフワークとした東松さんが通い続けた被爆者の一人が、今月6日に亡くなった山口仙二さんだった。反核平和運動の中心的存在でノーベル平和賞の候補と目されていた
 ▼「被爆者は、存在をもって、原爆の悲惨を明かす」と東松さんは著書に記す。山口さんもそのような被爆者であることを自らに課した語り部だった。東松さんが手にしたカメラの前で自らのケロイドをさらした
 ▼土門さんは治療に励む女性患者を広島原爆病院で取材している。包帯姿の患者がいる病室につるされた折り鶴を捉えた写真が印象に残る。患者たちは完治の願いを折り鶴に込めたのだろう
 ▼広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルで、55年に亡くなった佐々木禎子さんが折った鶴は平和の使者として米国やオーストリアに渡った。今年9月7日には沖縄市に贈られる
 ▼原爆の犠牲者や語り部が言葉や作品として遺(のこ)した平和の道しるべを無にしてはならない。沖縄市が迎える折り鶴も平和の使者として羽ばたかせよう。存命なら今年70歳になる佐々木さんが私たちに託した重い宿題でもある。