<金口木舌>福島を写す


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 深く刻み込まれたしわ。写真に、長きにわたり土と共に生きてきた人々の誇りと苦悩がにじんでいる

 ▼写真家・大石芳野さんが今年出版した写真集『福島 FUKUSHIMA 土と生きる』。大石さんは2011年の東日本大震災、福島第1原発事故から1カ月半後の5月、福島へ向かった
 ▼撮影に応じた飯舘村の84歳の男性は「親から譲られた田畑と山で生活してきた。早く土との暮らしをしたい」と切望し、50代の夫婦は「農民としてのすべてを失った。不安と怒りは並(大抵)じゃない」と怒りをあらわにした
 ▼住民に迫る大石さんと対照的なのは、韓国の写真家・鄭周河(チョンジュハ)さんの写真だ。宜野湾市の佐喜眞美術館で開かれている写真展『奪われた野にも春は来るか』に住民の姿は見当たらない。しかし、学校のグラウンド、老人ホームを写した写真に、人々の気配、深い悲しみが漂う。鄭さんは、まるで目に見えない放射能を写し取ろうと迫っているようだ
 ▼現地を何度も訪れた2人が口をそろえるのが、原発事故前と変わらない福島の自然の豊かさだ。大石さんは事故後に咲いた満開の桜を撮影した。土を耕し花をめでた人々から日常を奪った事故の理不尽を思いながら
 ▼都会の「当たり前の便利な暮らし」が、原発事故の犠牲の上に成り立っていることを忘れていないか。福島の写真がそう問い掛けているように見えた。