<金口木舌>ひめゆりからのバトン


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 那覇市の真和志小学校近くに古民家の沖縄そば屋がある。入り口には2本の琉球松。この家に住んでいた娘2人の進級記念で戦前植えられた

▼2人はその後の沖縄戦で犠牲となる。父親の金城和信・真和志村長は終戦の翌年、娘が学徒隊として命を落としたガマに「ひめゆりの塔」を建てた。信子・貞子さん姉妹の遺影は今、ひめゆり平和祈念資料館に掲げられている
▼開館から24年。資料館は戦場の実相を伝えてきた。最大の特長は生存者の「証言員」が直接体験を語る点だ。亡き友への思いも込めた生の声は、戦争を知らない世代の心に響く
▼だが寄る年波は厳しい。当初27人いた証言員も現在10人。年間千件以上続けてきた講話のうち、修学旅行生中心の館外講話は9月で終了する。80代後半となった証言員の負担を減らし、館内での講話を長く続けてもらうためだ
▼体験者が語れなくなる「その時」に向けて同館は早くから模索してきた。2004年には展示を分かりやすく大幅刷新した。小学生向けには絵本やアニメを作った。戦後生まれの説明員も養成し、次世代が語りを受け継いでいる
▼きょうから同館で夏休み企画の講話が始まる。11日まで証言員9人が体験を語る貴重な機会だ。「私たちのバトンを多くの方に伝えてください」と本村つる理事長。バトンを未来へつなぐ役として親子で耳を傾けたい。