<金口木舌>原爆神話を超えて


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 68年前のきょう銀色の米軍機1機が読谷飛行場に着陸した。「メーデー、メーデー」と緊急信号を発しながら。時は午後0時51分。その2時間前、長崎に原爆を投下したばかりのB29「ボックスカー」だった

 ▼テニアンを出発後、第1目標の福岡県小倉が雲に覆われていたため、時間を費やし、燃料切れ寸前だった。読谷着陸時にはエンジン2機が停止し、残りの燃料も1分間分しかない危険な状況だった
 ▼降りてきたのは25歳のチャールズ・スウィーニー機長。広島では随伴機を操縦し、二つの原爆投下作戦に加わった唯一の機長だ
 ▼1カ月後、彼は長崎を訪れ、壊滅した街を自らの目で確かめる。「後悔も罪悪感も感じなかった」。罪悪感を抱くべきは日本軍の司令官たちだと開き直った(『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』原書房)
 ▼彼は生涯、原爆投下の正当化に力を注いだ。戦争を早く終わらせるために必要だったと。沖縄で1万2千人の米兵が戦死したことも挙げ、さらなる犠牲を防いだと主張した。無差別に殺された市民の命は顧みられなかった
 ▼戦後の研究で、原爆は必要なかったとの認識が米国の歴史学者に広がっている。しかし古い“神話”にとらわれている米国民もまだ多い。「絶対悪の非人道兵器」(松戸一実広島市長)が数十万人もの未来をいかに破壊したか。かの国に発信すべきことは多い。