<金口木舌>「海上の道」の現在


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 沖縄に深い関心を寄せた民俗学者・谷川健一さんの像は島崎藤村の詩「椰子(やし)の実」に結びつく。晩年、「海上の道」を提唱する柳田國男が1897年、愛知県伊良湖岬に流れ着いたヤシの実を見つけた話が下地にある

▼柳田の影響を受けた谷川さんも黒潮が導く人や物の往来、文化の伝播(でんぱ)を探求した。沖縄と日本本土の関係は「母を同じくし、父を異にする兄弟」が持論。母は民俗や言語、父は歴史を指す
▼沖縄は本土に親近感を覚える半面、異なる歴史を歩んだ故の違和感も拭えない。谷川さんは本土との一体化か独立かという二者択一を超えた道を沖縄は模索するべきだと説いた
▼本土への「異化と同化」は沖縄の近現代史や県民意識を語る上でキーワードとなってきた。今は不信と反発が入り交じった異化へと県民意識は傾いていると言えよう
▼谷川さんは復帰20年の節目に「南島自治文化圏」を提起した。本土との一体化と独立の間を振幅する振り子作用の克服を目指す構想だが、現実はどうか。政治的に本土が沖縄を翻弄(ほんろう)し続ける限り、振り子は振動を止めない
▼シマクトゥバで「ユイムン」と呼ぶ海の漂着物は人々に恩恵をもたらした。今、本土や太平洋の向こうから県民の手に余る難題が沖縄に流れ着く。24日に亡くなった谷川さんは苦々しい思いで「海上の道」の今を見詰めていたのではないか。