<金口木舌>9条の旗手放すな


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 中国戦線から戻り、日本に帰ってきた1946年4月。青年は上陸直前の船内で配られた新聞を手に取り涙が止まらなかった。戦争放棄をうたった9条を含む憲法草案が発表された日の紙面だった

▼8月29日に他界した元日本火災海上保険(現日本興亜損害保険)社長で経済同友会終身幹事の品川正治さん。財界きっての護憲派として知られていた。講演会や著書で憲法9条の堅持を積極的に訴え、武器輸出三原則の緩和にも反対した
▼沖縄に深い思いを寄せた戦中派の1人でもあった。復帰を機に本土の大手損保会社が沖縄進出を狙う中、品川さんは地元企業が生き残るために琉球火災と共和火災の合併を働き掛け、大同火災の誕生を喜んだ
▼ともに動いた当時の日本火災社長・右近保太郎さんも戦中派。地上戦、米軍占領を強いられた沖縄に対し、2人は「沖縄の人たちは日本で一番幸せな人たちにならなければならない」と願った
▼沖縄へ思いを寄せた文章(「世界」1月号)では、オスプレイ配備を強行した政治に率直な怒りをぶつけている。「『ぬちどぅ宝』と唱える沖縄県民の生命まで危険にさらしている」「『沖縄』は視野から消されてしまっている」と
▼「9条の旗はボロボロだけど手放さないでほしい」と常々語っていた品川さん。他者の痛みを知る世代からのメッセージを引き継いでいきたい。