<金口木舌>愛のムチか


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 教育担当記者だった十数年前、教師による体罰問題を何度か取材した。学校現場の多くの教師が「体罰も指導の一環で必要な時もある」「愛のムチだ」と言う。疑問だった。体罰が本当に指導の一手段なのか、指導力不足を棚に上げた言い訳ではないのか

▼別の日、県教育庁のある課長が学校教育法を示した。「第11条に『体罰は加えることはできない』と書いてある。明治時代の教育令から体罰は禁止だ。法律にうたわれていることをなんで教師は守れないか」
▼この課長、前任校の生徒が教育庁に訪ねてくるほど慕われた名物校長だった。大柄でこわもてな外見と似合わず細やかで、学校全生徒の名を覚え、毎朝呼び掛けをしていたと聞いた
▼もう一人、高校の女性教師も言った。「男性と違って体力的にも生徒に暴力を振るえない。だから繰り返し言い聞かせる。粘り強さがなければ指導はできない」
▼ここ数日、高校バレー部の顧問が部員を何度も平手打ちする動画がネットで公開され、社会問題化している。指導というより自身のいらだちを生徒にぶつけているように見えた
▼7年後の東京五輪の主役は今の中高校生だ。メダルを獲得し国威を示そうと、選手強化の現場にはいろんな圧力がかかるに違いない。しかし指導者がまず伝授すべきは健全なスポーツマンシップだろう。生徒を萎縮させる“愛のムチ”は五輪には似合わない。