<金口木舌>カチャーシーを踊れずに


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 祝宴の席でカチャーシーに挑む。酔いの勢いも手伝って舞台に上がるのだが、あまりの下手さ加減に後悔してしまう。身ぶり手ぶりがぎこちない。早々に自席へ戻り、泡盛の水割りをちびりちびり

 ▼沖縄で生まれ育ったのに、唐船ドーイやアッチャメー小の調子に付いていけない。ヤマト文化になじんだ体のウチナー化に取り組まねばと、踊るたびに反省する
 ▼地域の祭りや学校行事で演じられる踊りには、うまい下手を超えて、住民が歩んできた歴史や土地柄がにじみ出るものがある。ミクロネシアの舞踊を再現したうるま市栄野比の「島民ダンス」もその一つ
 ▼テニアン島から引き揚げてきた住民が1951年、旧盆行事の余興として広めた。郷愁などの踊り手の意志を超え、歴史に翻弄(ほんろう)された南洋の島々の苦難、日米両軍の戦闘に巻き込まれた県出身者の悲劇がダンスにこもる
 ▼その3年前の48年、県立石川高校で生まれた「校歌ダンス」は、戦禍を生き抜いた若者たちの安堵(あんど)感と平和創造の息吹があふれている。先月末の体育祭で40年ぶりに復活した。踊ったのは70代半ばの卒業生
 ▼「平和の国の建設に 希望輝く新世紀」の歌詞に乗せて舞う、かつての高校生たちの表情はすがすがしい。母校愛や郷土愛とともに、沸き立つ自分の感情を踊りで描くことができれば素晴らしい。まずはカチャーシーの練習を始めるか。