<金口木舌>次代に次ぐ、くがに言葉


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 それは“お叱り”から始まった。南米の県系人が、視察に来た県議に言い放つ。「沖縄の議員なのにウチナーグチもできないの」。この言葉が議員を動かし9月18日を「しまくとぅばの日」とする条例につながった

▼それから8年。条例を機に、しまくとぅばの普及運動は盛んになった。海外のウチナーンチュ社会でも世代交代が進み、言葉の継承は大きな課題だ。とはいえ、しまくとぅばに接する機会はまだ少ない
▼認知症で日本語を話さなくなった祖母を介護した際、初めて多くの語彙(い)を学んだ。息子の名前さえ思い出せない祖母が好んだ話は、真喜志康忠氏の芝居と瀬長亀次郎氏の演説の場面。興奮した語りに引き込まれた
▼いま、しまくとぅばで沖縄戦を語り継ぐ動きが広がりつつある。千人近い体験者の証言をしまくとぅばで記録してきた写真家の比嘉豊光氏は「日本語による記録とは、表情から話の中身まで違っていて衝撃だった」と語る
▼「あんまあ」。沖縄戦体験者が泣き崩れて家族に言葉を向ける時がある。取材の質問は全て日本語。しまくとぅばの方が母語に近い人が大半だろうと思いつつ、話せない自身を悔やんだ
▼思い出したくない戦争体験を、苦しみながら紡ぐ言葉は尊い。選びながら語る「自分の言葉」には迫真の力がある。体験者の高齢化は待ったなし。その言葉を伝える大切さを痛感する。