<金口木舌>海を荒らさず


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 日本の公害の原点と言われる栃木県・足尾銅山の鉱毒事件に身命を賭して立ち向かった田中正造は、無類の手紙魔で、自らの訴えを書簡に託し「手紙運動」と称して送り続けた

▼今に残る28歳ごろから没するまでの書簡は5250通余に上るという。鉱毒の被害者には手紙で抵抗運動の指示を出し、社会に対しては被害の現状を訴えた
▼有名な明治天皇直訴の際も、妻宛てに死を覚悟した手紙を記した。「言論も運動も訴訟も請願も遂に被害地救済の目的」に達することができず、最後の手段に訴えたという
▼田中は人命の尊重が何にも勝るとし、軍備の全廃と外交による平和の構築も訴えた。しかし軍国主義の時代に、富国強兵策に反対し、人命を優先する田中の訴えはかき消された。村は破壊され、住民は北海道への移住を強制された
▼「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」。経済成長を優先する近代文明を鋭く批判した言葉は田中の没後百年たっても私たちの胸をつく。東京電力福島第1原発の事故を経験した後の日本にとってはなおさらだ
▼田中の言葉を「海を荒らさず、村を破らず」と読み取れば、沖縄の状況にも重なる。基地新設を挟んで海が脅かされ、賛否をめぐり村は裂かれた。海山を荒らして新基地を造ることが真の文明なのか。その問いかけは百年たってなお、生きている。