<金口木舌> 紙銭に込める思い


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 仏前で紙銭を焼く。炎を見つめていると、亡き祖父母を思い出し、心が和む。先日も実家の法事で穏やかなひとときを過ごした。はしゃいでいる子どもたちも、この時だけは落ち着いて仏壇に向かう

 ▼お経を上げた僧侶が興味深い話をしてくれた。中国では億単位の額が記された紙銭を焼く習慣が盛んという。現物も見せてくれた。多色刷で本物の紙幣と見まがうほど
 ▼最近では携帯電話やクレジットカードを模した紙銭や供物も人気だとか。祖先への感謝を形にしたものだが、財力が幅を利かすようでは、あの世も居心地が悪かろう
 ▼作家・島尾敏雄の息子で、アジア各地を取材する写真家の島尾伸三さんの指摘が面白い。中国の紙銭や供物は「現世の欲望がそのままになったものばかりです」と本紙に寄せたエッセーで説いた。億単位の紙銭やクレジットカードも合点がいく
 ▼貧困と戦争に耐えたウヤファーフジ(祖先)には、平和で豊かな沖縄を紙銭に添えたいが、基地だらけでは納得してもらえまい。きな臭い空気が東京から漂ってくる今はなおさらだ。安倍政権がたきつける特定秘密保護法案にはいかなる欲望が潜んでいるやら
 ▼苦難を重ねたわが祖父母は何を求めるだろう。数億円の紙銭ではなさそうだ。「平和で暮らしよい沖縄は今しばらくの辛抱を」と念じ、あの世でも困らぬ程度に数束の紙銭をくべておいた。