<金口木舌>厨房にひそむ貧しさ


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 割り箸を手にした時、ぜいたくな気分に浸った。小学生のころ、那覇のデパート内にあったレストランで口にしたざるそばの味が忘れがたい。お代は400円程だったと記憶する

▼「朝夕は家族そろって自宅で食事」の習慣にも例外はある。年に数度は外食を楽しんだ。注文するのは好物のざるそば。親にとっては安上がりでも、子どもにはごちそうだった。レストランという場の空気も薬味となった
▼「ランチ」と名が付いた大皿の前では気が高ぶった。ポーク、卵焼き、サラダ、焼き飯を交互に口に運ぶ楽しさは格別だった。中年になった今、レストランで食事をしても、あの高揚感はやってこない
▼懐かしい思い出を温めながら、今日の外食産業の隆盛をながめる。家族連れでにぎわう小ぎれいなレストランのテーブルには、食の豊かさが広がっているように感じる。でも本当にそうだろうか
▼県内でもホテルやレストランの食材の虚偽表示が次々と明らかになっている。店側は「認識不足」などと説明するが、釈然としない。業界の競争激化でそろばん勘定を優先したのであれば悲しい
▼家族が自宅で食卓を囲む豊かさを今は理解できる。食材の偽装表示は、その豊かさとは対局にある。赤茶けたプラスチック容器ですすったざるそばに満足したかつての少年は、レストランの厨房(ちゅうぼう)の片隅に、精神の貧しさを見る。