<金口木舌>「コザ騒動」は見なかったけど


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 時代を揺るがす大事件の現場を一目見たかった。「コザ騒動」はそのような出来事として語り継がれる。歴史的証言を披露する体験者に羨望(せんぼう)のまなざしを向ける。現場に行きそびれた先輩の悔しさにも共感する

▼コザ市議だった中根章さんは体験を逃した組。美里村であった毒ガス撤去要求県民大会に出た後、那覇で用事を済まし、桜坂社交街に流れた。朝方、タクシーに乗り込むと運転手いわく「中の町が火の海ですよ」
▼慌ててコザに戻ると自宅に仲間が集まっていた。聞けば血気盛んなわが身を心配していたという。「章のことだ。コザ署か憲兵隊に捕まったのではないか」とやきもきする仲間の前で、さすがにばつが悪かった
▼「現場にいたかったねえ。車をひっくり返したかも」。さらりと語る口調からは、さほど悔しさを感じない。17年前に政界を退いた中根さんは81歳の今も復帰運動を闘った仲間と共にオスプレイ撤去運動の場にいる
▼基地の重圧にあらがい、日米両政府に異議を申し立てる場や機会が沖縄にはいくらでもある。普天間飛行場問題をめぐる県民分断策としての“21世紀の琉球処分”もその一つだろう
▼「コザ騒動」から20日で43年を迎える。コザの夜空を焦がしたのは、憤怒の炎だった。県民は普天間問題の重大局面を前にしている。政府の動きと知事判断に、冷徹な目で向き合いたい。