<金口木舌>大統領補佐官の遊びと実践


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 官民の枠を超えた自由な対話は街づくりの原動力となる。気軽に集える場と潤滑油代わりのお酒があればなお結構。現場主義と好奇心が地域おこしを左右する。実例を「コザ独立国」に見る

 ▼沖縄市観光協会青年部に集う若手経済人と市企画部の職員が夜ごと地域おこしの知恵を出し合った。しばらくすると「コザ独立国構想」が職員の手でまとまる。あまりの奇抜さに青年部長は「どぅまんぎたん」
 ▼国をつくるとなれば元首が必要ということで、くだんの2人は恐る恐る照屋林助さんに大統領就任を打診した。黙って話を聞いていた照屋さんのご下命は「我(わん)ぬ外居(ふかう)らんさに」。自分が最適任者だと判断したらしい
 ▼1990年、「コザ独立国」が生まれる。市企画部職員の粟国安雄さんは大統領補佐官、青年部長の古堅宗光さんは総務庁長官に収まる。壮大な遊び心を盛り込んだ、街づくりの実践だった
 ▼戦後沖縄文化の柱にコザの2文字を据える試みでもあった。「全国的にコザを発信した独立国構想は粟国さん最大の功績」と古堅さんは振り返る。役所の枠を飛び出し、街と向き合った粟国さんが10日、この世を去った
 ▼その公務員人生にも似て、コザの街は一筋縄ではいかぬ。それでも地道にまいた種は芽吹き、根を張る。そのことを熟知し奮闘した補佐官殿、先に逝(い)ったてるりん大統領と共に街を見守ってほしい。